ホタルノニッキはなぜリョナゲーではないのか
(話半分にご覧下さい)
私はリョナゲーの女の子が魅力的に感じられるかどうかにおいて、
「プレイヤーが感情移入できるかどうか」が重要だと思っています。
プレイヤーが女の子に感情移入し、
彼女の「痛い、苦しい、恥ずかしい」等の感情にシンクロすることで、
それらをプレイヤー自身も深く察し取り、より深い興奮をもたらすものだという持論です。
さて、「リョナ」と「ゲーム」この2つは親和性がもともと高いものですが、
それは「女の子を操作することができる」というゲーム本来の特性により、
ある程度の感情移入の保証がされているが故にあります。
プレイヤーの操作と、それで発生する成功や失敗をきちんとゲームが描写し、
それを女の子が可愛らしく表現することで、プレイヤーの感情とキャラクターの感情のつながりが
より深く、感情移入できるようになっているものと感じます。
ホタルノニッキが致命的にリョナゲーから遠ざかっている理由はここで、
「操作するのは女の子ではなくホタルである」所にあるんじゃないかと。
ミオンちゃんはホタルに導かれるだけで、操作性、スピードもものすごく悪いです。
これがプレイヤーとミオンちゃんのシンクロニシティを絶望的に下げています。
プレイヤーの操作がダイレクトにミス=「死」「陵辱」に直結して、
そしてそれを実感できるからこそ、リョナゲーはリョナゲーとして
興奮できうるように思います。
そういう意味で感情移入=シンクロニシティなわけですが、
これについては操作性以外にも評価点があります。
例えばBlankBloodは操作性を徹底的に高めることでシンクロを強めているゲームですが、
ハナカンムリのように「行動の結果」を事細かに描写する丁寧さもまたシンクロの重要な点と思います。
「物を食べる」「状態異常」の立ち絵に「落下した→痛い」などなど、
プレイヤーのとる行動がフィアちゃんの行動として事細かに描写され、視覚的なシンクロを高めます。
もちろん視覚情報だけでなく、声もまたシンクロ度を上げる重要なポイントです。
これもまた、音も絵も同時に表現することができる、ゲームならではの強みと言えます。
それらを踏まえてホタルノニッキを見ると、
操作するのはホタルで、操作性も思い通りとは言えずコツが必要です。
ミオンちゃんの感情表現も芽をとった時にあるかないか程度で、
ミオンちゃん本人の死亡表現もほぼ1パターンでとてもマイルドな上、顔も強くデフォルメされています。
このように、普段のゲームプレイでミオンちゃんはプレイヤー行動の結果に対し豊かに返しているとは言いがたい。
また声もない。
それ故、プレイヤーとミオンちゃんの距離は「遠い」──
ミオンちゃんの死に対して、プレイヤーがそれを実感として受け入れることをさせないゲームになっています。
これは一概に悪いと言っているわけではないです。
なにしろ操作性も含め難易度の高いゲームですので、
ミスしてもプレイヤーはあまりへこたれずに
次のプレイにすぐ切り替えていけるというメリットでもあります。
…ですが、私のようにリョナゲーをプレイしていた人間が
りょない描写を期待してゲームをプレイすると、少しミオンちゃん本人とその死の表現の淡白さに拍子抜けしてしまう、
そういうゲームにデザインされているなぁ、というのが、プレイして思った感想です。
(顔のデフォルメについてはfromageもデフォルメが強いですがこちらはかなりエロく表現されています。
これは丸呑みされ胎内に入ったときのSE表現の素晴らしさもありますが、
胎内から抜け出ることに対するゲームシステムの妙もあると思います。
一度目の呑まれは用意に抜け出せるが、何度も呑まれているうちにだんだん疲れてきて、
いくらもがいても出られなくなって…という女の子の絶望感を、
システムで絶妙に表現しているからこそ、感情移入度が高まっていると思います)
そんなわけで「せっかくいたぶりがいがありそうな施設なので影さんもうちょっと頑張ってよ」と思いながら描きました。
おすすめのDL同人作品
同人作品PR