「絶対にからかってるでしょ、先生」
by あやめ工房
「やっぱり私にこういうところは似合わないよ。私の手なんか……」
「そうかなあ。アズサの手は綺麗だと思うよ。まあ、やるだけやってみたらいいんじゃない? せっかくもらった券なんだからさ」
秋の日の放課後のことだ。アズサと私はトリニティ自治区のネイル・サロンに来ていた。待合室のソファにふたり並んで座っている。店員にはさっき問診でこちらの希望(アズサがジェル・ネイル、私が爪のケアだけ)を伝えたから、用意ができ次第呼びに来るだろう。
どちらもネイル・サロンに来るのははじめてだ。といっても彼女を誘ったのは私なのだけれど。アズサはときどきトリニティの他の生徒の塗った爪を横目でじっと見たり、それと比べるように自分の爪を眺めたりしている。なら、ちょっとしたきっかけさえあれば後は少し押すだけでネイル・アートに興味を示すだろう、と前々から思っていたのだ。
その「ちょっとしたきっかけ」をくれたのはハナコだ。今日たまたま会った彼女と一緒に昼食をとっていると、出し抜けにこのサロンの招待券をもらった。なんでも新しくできたサロンで、経営している人がハナコの知り合いらしい。
「私は別の日にコハルちゃんと行きたいので……先生さえよければ、アズサちゃんを連れていってあげてくれませんか?」
「私がアズサと? ヒフミは?」
「ヒフミちゃんはティーパーティーに呼び出されて忙しいみたいです。あと、先生がアズサちゃんを連れていってくだされば、今度は違う日にアズサちゃんがヒフミちゃんを連れていくことができますから。ヒフミちゃんもひとりで行くのは少し緊張するでしょうし」
「なるほど」
ハナコは「アズサちゃんは二回行くことになりますが、ふだんから気を張っている彼女にはそれくらいがリラックスできてちょうどいいでしょう」と言った。彼女もアズサが爪を気にしていることには気づいていたようで、私と同じ意見を持っていた。つまり、はじめはちょっと抵抗があるかもしれないけれど、いざ行ってみれば楽しめるはずだ、と。
果してそれは正しかったようで、さっきからアズサは口ではためらっているものの、目線はしきりに店の華やかな内装や、あちこちに並べられた展示用の美しいチップ(付け爪)に向いている。また、ぶつぶつと「銃を使うときに気が散らない色がいい」とか「いや、利き手じゃなければ少しくらい派手にしても」とか「どういうデザインにすればいいんだろう」とか言い出してもいる。やはり興味があったのだ。誘ってよかった。ありがとう、ハナコ。
私も若干ためらう気持はあったが、そわそわとしているアズサを見ると、少しずつ緊張がほぐれていった。
やがて店員が来た。
「白洲様、お待たせいたしました~。招待券をお使いで、おふたりでご来店ですね。ありがとうございます。施術の用意ができましたのでこちらへどうぞ」
…………。
施術の場所は美容室のように落ち着いた雰囲気の部屋だった。柔らかそうな一人掛のソファと、小物を置いたテーブルがいくつも並んでいる。私たちの他にも何人かお客がいて、ジェルを塗ってもらったり、ライトに手を突っこんでジェルを乾かしたりしていた。
アズサと私は隣どうしの席でそれぞれ一人掛のソファに案内され、それぞれ一人ずつのマニキュリストとテーブルごしに対面した。私はあいさつを交してさっそく手を卓上の小さな枕に載せた。向い合ったマニキュリストと雑談をしつつ、爪のケアをしてもらう。
するとアズサが、
「あっ!?」
と声をあげた。
「どうしたの、アズサ」
「先生、これって……!」
「んー? ああ……これ、コラボしてるんですか?」
「そうですよ~。かわいいですよね、モモフレンズ」
アズサの側のマニキュリストが、彼女の爪のケアをしながら答える。
卓上の小さなコルク・ボードには、モモフレンズのデザインをしたチップが飾ってあった。ペロロ、スカルマン、ピンキーパカが描かれているものの他に、ビッグブラザーを思わせる水色の爪もある。キャラクターだけではなく、各種の色をテーマにして模様を描いた爪もある。
たしかにこれはかわいい。派手すぎず、見ていて安心できるデザインだ。
アズサはモモフレンズのネイル・アートを食い入るように見つめて「かわいい……こんなのもあるんだ……」と呟いていた。
アズサの側のマニキュリストはそのようすが嬉しかったのか、くすっと笑い、
「よかったらお試しになりますか?」
と言った。
アズサは驚いて顔を正面に向け直した。
「えっ……」
「コラボのカラーにも招待券は使えますよ。ただ、じかに爪に塗るのであれば、本日は片手だけにして、その仕上がりを見たうえで後日もう片方の爪を塗ることをおすすめします。白洲様は本日がはじめてのご利用とのことなので」
「……」
「後日いらっしゃる際にも本日の招待券の範囲で施術できますし……どうでしょうか?」
私は自分の爪が綺麗になってゆくのを感じつつ、アズサの反応を見ていた。彼女は期待に満ちた顔つきでコルク・ボードを見つめているが、しかし一方でどこか迷いのある表情をしてもいる。
アズサは考え込んだすえに、私の方に向いて言った。
「せ、先生。どうしよう。これはすごくかわいい。でも、どうしよう……」
「アズサはどうしたいの?」
「……このデザインにしてみたい、けど……銃を扱うとどうしても指が汚れてしまうし、衝撃もあるから……」
「ああ、なるほど……」
たしかにそれは問題だ。どうしよう。
しかし、アズサの側のマニキュリストがここにも助け舟を出してくれた。(私の側の人は黙々とケアをしている)
「防弾、防塵トップ・コートというのもありますよ。ジェルの上から透明な仕上げをすることで衝撃に強くなります。ツヤ出しも兼ねているので、ジェルを綺麗に見せる効果もありますね。まあ防弾、防塵になると招待券の範囲からは外れるので、少々お値段をいただきますが」
「……」
アズサは感極まったように口をぱくぱくとさせ、まるで神様でも見るような顔で正面の人を見ていた。が、少しすると戻ってきて、
「……お願いします!」
と言った。
…………。
帰りは喫茶店に寄ってコーヒーを飲んだ。アズサの施術に90分ほどかかったため、待たせたお詫びにと彼女が奢ってくれた。べつに気にしなくていいのに。でも嬉しい。(ちなみに防弾、防塵トップ・コートの料金はコーヒーと同じくらいで、これもアズサが支払いをした)
「かわいいね」
「うん! ほんとうによかった……」
アズサの右手にはお待ちかねのモモフレンズの爪が輝いている。彼女はさっきから何度も右手をひるがえしては仕上がりをたしかめ、そのたびにほほ笑んでいる。どうやら満足の出来だったようだ。さすがプロだ。
「今日はありがとう、先生」
「どういたしまして」
ああ、でもそういえば次はアズサがヒフミを連れていくんだっけ? ヒフミより先にモモフレンズの爪にしてしまったのは少しまずかったかな。「どうして一緒にさせてくれなかったんですか!」とか言われてしまいそうだ。困ったな……。
「……まあ、いいか」
「?」
私はアズサの嬉しそうな顔を見つつ、綺麗になった指先でカップをつまみ、熱いコーヒーをすすった。
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