【掌のバレエ萌え小説】所有される私たち
by 碓井央
パ・ド・ドゥを踊るときにはパートナーに何をされてもよいという一種の諦めが必要です
もちろん形式上は彼が私に何をしてもいいわけではありません──決められた振付に沿って踊るのですから
けれども私に対して──より正確には私に対してどういった欲望なり感情なりを抱くかは彼の意志のままです
そして彼の情念の奔流は踊りを通じて私の躰の内側に入り込み──融け合ってゆきます
融け合ったまま私たちは踊り──お互いの躰が入れ替わったり戻ったりしているような錯覚さえ起きます
結果として男女の媾合をも超えるような営みとなってしまうこともありますが──それは受け容れなければなりません
なぜなら踊っている間は私たちは踊りを観ている人々の所有物であって私たちそのものではないからです
誰かに所有されているからこそ私たちは融け合っている──そしてそれをお互いに受け容れているのです
ただ──お互いを受け容れ合うこのひとときが私たちそのものではないとしたら──「いつもの私たち」はどこに在るのか
果たしてその「いつもの私たち」は「人々のものとなっている私たち」に較べて満ち足りているかどうか
──たぶんいまは無理にその答えを出さないほうがいいのだろうと思っています
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